最新情報
- 04月27日・・・長岡京市にある光明寺
- 04月24日・・・牡丹の花が綺麗な乙訓寺
- 04月20日・・・明智光秀の娘、玉が嫁いだ・・・・・勝竜寺城
- 04月19日・・・細川頼春が築いた城・・・勝竜寺城
- 04月18日・・・大山崎山荘美術館
長岡京市にある光明寺
光明寺は、
京都府長岡京市粟生野にある寺院で
西山浄土宗の総本山です。
承安5年(1175年)に当地で浄土教を広めた法然を慕い、
弟子の蓮生(熊谷直実)が
建久9年(1198年)に当地に寺院を建立したのが始まりです。
交通アクセス: (J)長岡京駅西口より阪急バス22・23系統西陣町行約20分(停)光明寺から西へ。
徒歩2分
阪急電鉄京都本線長岡天神駅から阪急バス20・22系統で約10分
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2009年4月27日|
カテゴリー:光明寺
牡丹の花が綺麗な乙訓寺
乙訓寺は推古天皇勅願により,聖徳太子が十一面観世音菩薩を本尊とする伽藍を建立させたのが始まりとされています。
延暦3年(784年),都が奈良から長岡に遷都された時,桓武天皇は京内七大寺の筆頭として乙訓寺を大増築しましたが,翌4年,建都の長官であった藤原種継が暗殺され,天皇は皇太子早良親王を当寺に幽閉しました。
早良親王は淡路島への流される途中に亡くなりましたが,以後桓武天皇の身内に次々と不幸が襲い,疫病・天災が続いたため,長岡京は創建からわずか10年で捨てられ,平安京への遷都となりました。
嵯峨天皇は,弘仁2年(811年),弘法大師を乙訓寺の別当に任命しましたが,これは早良親王の怨霊を鎮めるためだったとも言われています。
境内には本山の長谷寺(奈良)から移された約2000本の牡丹が植えられており,4月下旬から5月上旬に見頃を迎えます。
拝観時間:午前8時~午後5時(牡丹開花時 午前7時~午後6時)
拝観料:大人300円
交通アクセス/阪急電鉄京都線「長岡天神駅」下車 徒歩15分
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2009年4月24日|
カテゴリー:乙訓寺
明智光秀の娘、玉が嫁いだ・・・・・勝竜寺城
歴応2年(1339)に細川頼春が築城したといわれ、
天正6年(1578)明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が細川忠興に嫁いだ城で、
後年の山崎の合戦では光秀がここに本陣を構えました。
鉄砲の時代に対応した先駆的な築城技術を用いた城で、
我が国の城郭史上でも貴重なモノであることが発掘調査で明らかになりました。
この跡地が管理棟(資料展示室)、櫓や庭園などを備えた都市の公園の姿で復興しました。
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2009年4月20日|
カテゴリー:勝竜寺城
細川頼春が築いた城・・・勝竜寺城
1339年(暦応2年)、京をうかがう南朝方に対抗するため、
北朝方の細川頼春が築いた城。
西に西国街道、東に久我畷、南に淀川の水運をうかがう要地であるため、
そののちも各勢力の争奪の舞台となる。
戦国時代には和泉細川氏の細川元常、続いて三好氏重臣岩成友通が城主となる。
1571年(元亀2年)、山城国西岡一帯を
織田信長より与えられ、城主となった細川藤孝(幽斎、元常の養子)は
二重の堀を持つ堅固な城に改修。
1582年(天正10年)、山崎の合戦では、
細川家の縁戚でもあった明智光秀の拠点となったが落城。
その後、淀城の築城に石材が使用されるなどして荒廃する。
江戸期に入って1633年(寛永10年)、永井直清が封ぜられ(山城長岡藩)、修築をおこなうが、
1649年(慶安2年)、摂津国高槻に転封されると同時に廃城となった。
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2009年4月19日|
カテゴリー:勝竜寺城
大山崎山荘美術館
アサヒビール大山崎山荘美術館は、アサヒビール運営による私立美術館です。
京都府乙訓郡大山崎町に立地。
大阪府と京都府の境にある天王山の山腹に位置し、
真下に木津川・宇治川・桂川の三川が淀川へと合流する美しい風景を見ることができます。
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2009年4月18日|
カテゴリー:大山崎山荘


