About 勝竜寺城

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勝竜寺城 アーカイブ

2007年01月10日

明智光秀の娘、玉が嫁いだ・・・・・勝竜寺城

 歴応2年(1339)に細川頼春が築城したといわれ、

      天正6年(1578)明智光秀の娘、玉(後のガラシャ夫人)が細川忠興に嫁いだ城で、

          後年の山崎の合戦では光秀がここに本陣を構えました。

 鉄砲の時代に対応した先駆的な築城技術を用いた城で、

      我が国の城郭史上でも貴重なモノであることが発掘調査で明らかになりました。

   この跡地が管理棟(資料展示室)、櫓や庭園などを備えた都市の公園の姿で復興しました。

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細川頼春が築いた城・・・勝竜寺城

 1339年(暦応2年)、京をうかがう南朝方に対抗するため、
                      北朝方の細川頼春が築いた城。

 西に西国街道、東に久我畷、南に淀川の水運をうかがう要地であるため、
                           そののちも各勢力の争奪の舞台となる。

       戦国時代には和泉細川氏の細川元常、続いて三好氏重臣岩成友通が城主となる。

 1571年(元亀2年)、山城国西岡一帯を
           織田信長より与えられ、城主となった細川藤孝(幽斎、元常の養子)は
                                     二重の堀を持つ堅固な城に改修。

 1582年(天正10年)、山崎の合戦では、
               細川家の縁戚でもあった明智光秀の拠点となったが落城。

                     その後、淀城の築城に石材が使用されるなどして荒廃する。

 江戸期に入って1633年(寛永10年)、永井直清が封ぜられ(山城長岡藩)、修築をおこなうが、
           
         1649年(慶安2年)、摂津国高槻に転封されると同時に廃城となった。

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