60年代にロックの洗礼を受けて今日まで40数年あまり、
激動の時代を生き抜き、
島根の田舎町にロック喫茶を創った
一人のハードロッカー「なまず」の物語をボチボチ始めるよ!
洋楽を聞き始めたのが中学生の頃、
フランスの歌手「シルビーバルタン」の「アイドルを探せ!」・・・
フランス語のソフトな響きが俺のハートを直撃した。
シルビーがまたかわいかった!
あちこちから聞こえてくる、「テケテケテケ~」のギターサウンド
全国のヤングをシビレさしたエレキギター
その代表バンドが「ベンチャーズ」だ~!
毎年夏になると来日していたけど、今年は来たのかなー?
あの当時エレキギターを持っていると不良だど言われていた・・・・・今では信じられないことだ。
俺の田舎にもベンチャーズのコピーバンドがあって、お祭りやイベントで活躍(?)している。
その時代、東京オリンピックが開催され、日本は高度成長期に入っていく。
ある夜、ラジオを聞いていると、頭の脳を浄化するような音が流れてきた。「イエスタデイー~」・・・なんだー???メチャクチャ綺麗なサウンド。
これが俺の感性を変えた「ビートルズ」との出会いだった。
その頃ラジオのヒットチャートで一位を独占し始めた。
1962年に「ラヴミードゥー」でデビューし、1966年6月29日来日した時、高校3年だった俺はテレビ中継を見るため、学校の期末テストを早く切り上げ、家に飛んで帰った。
テレビ(白黒)のスイッチを入れると、武道館のステージが映っていた。
観客席から「キャーキャ-」悲鳴に近いものが聞こえてくる。
前座に登場して来たのが、
なんとあのコミックバンド「ドリフターズ」だあー!
ビートルズの前座にドリフターズ????ナンジャーこりゃー・・・・
凄いことなのだろうか?ようわからん?
ようやく前座の演奏が終わり、待望のビートルズ演奏が始まった。
俺1人、テレビの前で歓声をあげ、画面に釘付けになった。
その時の音はどーだったと聞かれると、もうー歓声が凄くて演奏が良く聞こえない状態。
でもそれでもいいんだ。テレビの画面に映っているから・・・。
その時18歳・・・日本の音楽シーン・ファッション・文化が変り始める。
ビートルズ旋風が日本中を吹き荒れている頃、
CCRの「雨を見たかい!」がよくラジオで流れていた。
ビートルズとは違う、地味だけど何かソウルな響きでアメリカのバンドそのものだ。
CCRを聞いていると、ビートルズには無い泥臭さを感じた。
それが何であるか随分あとになってわかるのだが・・・
それには俺のルーツを語らなければ・・・・58年前にタイム・スリップ!
1945年の終戦から3年後、
日本が敗戦の復興に取り組んでいる中、
1948年、俺がこの世に生まれてきた。
同じ年代に生まれた有名人は、エアロスミスのスティーヴンタイラー、
レッドチェッペリンのロバートプラント、ブラックサバスのオジーオズボーン、
チャールズ・イギリス皇太子、宇宙飛行士の毛利、
それから演歌歌手の都はるみ・・・結構いるなー。
反対に亡くなったのは、インドの政治家・ガンジー、野球のベーブルース、
そしてA級戦犯として処刑された東条英機など。
こうしてみると、ロック関係がいるのがうれしい。
特にロバートプラント・・・ハードロックボーカリスとしては最高だ!!
うーん、同じ歳に生まれて、方やロックバリバリ、この違いはなんなんだー?
子供の頃は、テレビも無ければゲームも無い。
学校が終われば近所の悪ガキどもと日が暮れるまで外で遊んでいた。
音と言えば真空管のラジオから流れてくる浪曲・落語・漫才・・
アチャコ・エンタツ・エノケン・・・ロックとは全く関係ない環境で育っていった。
その時代のヒーローは力道山。
近所の電気屋にテレビが置いてあり、多くの人達が観ていた。
家にはまだテレビが無かったので、遊び仲間である病院の息子の家に良く観に行っていた。
力道山のカラテチョップは最強だった。
マンガでは、鉄腕アトム、それに鉄人28号。
中学1年の夏休み、弟と一緒に東京の叔父さんの家へ遊びに行った。
その時はまだ蒸気機関車が走っていたので、一日かけての機関車の旅。
満席なので夜寝るときは座席の下に新聞紙を敷いて寝るから、背中が痛くてあまり寝れなかった。
東海道線にある清水トンネルを通過するときは、
煙が車内に入らないように窓を全部閉めているけど、距離が長いから少しずつ煙が入ってくる。
このまま行けば死ぬんじゃないかと思うぐらい長い時間だった。
ようやくトンネルを出てから乗客全員が窓を開けて新鮮な空気をいれた・・・・助かった!
長い一日が過ぎ東京駅に到着したときは、弟も俺も顔が煙のススで真っ黒になっていたよ。
東京スタジアムで初めて長嶋のプレーを観た。
野球でのヒーローは長嶋だ。
三塁側だったので、プレーする長嶋の姿を目の前で観ることができた。
今でもその勇姿は瞼に焼きついている。
その時、初めてコカコーラを飲んだ。
中学の時、ブラスバンド部に入り小太鼓を始めた。
それが音楽との直接の関わりだった。
行進曲がほとんどだけど、小太鼓にハマっていった。
中学から高校卒業するまでブラスバンド一筋!楽しかった~。
高校卒業して東京の大学に入ってからはブラスをやめた。
高校を卒業した頃、友達とボーリングをしにいったとき、彼がボーリン場にあったジュークボックスを見て、この曲がいいんだと言ってある曲をかけた。
「紫の煙り」・・・うんーんなんかすごい。
その時は誰がプレイしているか知る由も無い。
徐々にその煙りに染まっていくんだけど・・・
ビートルズでは誰が好き?と聞かれたとき、
ジョージハリスンと答えていた。
メンバーの中ではあまり目立たない、カッコイイ、クールな存在。
そのジョージがインドの文化や音楽の影響を受けていくんだけど・・・。
そのようなとき、1人の日本女性がビートルズの前に現れた・・・・!!
彼女がビートルズの1人に強烈な影響を与える。
男は女によって生き方も変っていくもんだ。・・・俺もその中の一人・・
1人の東洋の女がジョンを変えた。・・・オノ・ヨウコ。
前衛芸術家だったヨウコがジョンと出会い、ビートルズを変えてしまった。
その時、俺はなんて女が現れたんだと思ったよ、ジョンの生き方を変えたんだから・・・。
その時からジョンの曲も「LOVE&PEACE」・・平和・愛を・・・音で表現してきたんだ。
アメリカがベトナムに若い兵士を送りこんで、バンバンやってる時代だから・・・
俺と同い年の兵士がベトナムのジャングルで戦っていると思うと、日本は平和でいいなあ~。
吉祥寺の下宿で毎日のんびり過ごしていると、
全学連があちこち全国の大学を封鎖し始めた。
あの頃の吉祥寺は、Gパンに下駄が似合う町だった。
田舎の町とあまり変わりが無い?
タマゴをバラ売りする店があり、
小汚い小さなパチンコ屋が路地裏に・・・そこで遊んでは、砂糖をゲットしていた。
いつも歩いている道のそばに気になる店があった。
それは2階にあり、髪の長い変なやからが出入りしている。
どうもフォークをそこで歌ってるみたいだ。
吉祥寺の北口を出て西に少し歩いた所にあったんだけど、誰か知ってる人いるかな?
その頃の俺はまだビートルズを聞いている髪も短いマジメ?な学生だった。
数年後には変身するんだけど・・・
同じ下宿に住んでいる北海道と福島から来ていた連中とは仲が良かった。
俺の部屋に集まってはビートルズを歌ったよ。
今みたいにワンルームマンションなど無い時代だから
都会で1人暮ししても直ぐに友達ができる環境だった。
台所・トイレは共同、お風呂は銭湯に・・・・6畳一間で6千円。畳み一枚が千円の時代だった。
下宿の近くに成蹊大があり、
秋の大学祭に行って見ると何やら「ドンチャ・ドンチャ」とにぎやかな音が聞こえて来た。
「月光仮面のおじさんは~」と歌っていたのは「モップス」だった。
ヴォーカルが「鈴木ヒロミツ」・・そうです・・・ドラマとかに出ている・あのおじさんです。
世の中、スパイダースやテンプターズなどのグループサウンズが日本の歌謡界に出始めていた。
その中で気に入っていたのが・・・ゴールデンカップス
・・他のグループが歌謡曲っぽかったのに比べ、サウンドが違っていた。
彼等の音の根底にあるのが、R&B(リズム&ブルース)だったのだ。